こんにちは。
恰好良い大人になりたくて
管理人のポンペイです。
書店に行けば、未だに売り上げランキングの上位に君臨する本。
本が好きな人もそうでない人も、大人も子供も、ついつい手に取って読んでしまいたくなるタイトル。
『君たちはどう生きるか』
なかなかに壮大なタイトルでございますが、今日は今更ながらこの本についてご紹介していきます。
私なんぞが紹介しなくても、色々な人が感想やら、内容やら、批判やらを書いています。
わかります。
読めば色々な感情が生まれる本だもの・・。
私も最初に読んだのはずっと前の話ですが、いつかは必ず書こうと思っていました。
何か特別なことを書いている本ではないのです。
でも、誰もが子供の時に似たような経験をした中で、この本にあるような考えに至らなかったはずですし、ほとんどの人が否定的に描かれている脇役の一人だったはずなのです。
少なくとも私が生きてきた世界は、この本を読んで理解できるような人達がいる世界ではなかったように思います。
「え?どういうこと?ちょっとマジ意味わかんねーんだけど」みたいなこと言う姿しか想像できない。
『君たちはどう生きるか』は池上彰さんが前書きで書いている通り「子供たちに向けた哲学書であり道徳の書である」わけですが、私が小さい時にこの本を読んでも理解できるような優秀な子ではなかったように思います。
まずは大人がちゃんとこの本の内容を理解できるのか。自分は素直にこの本の言葉を受け止められるのか。
理解できるのであれば子供に勧め、道徳について話をすれば確かに良い教育になるんじゃないですかね。
そしてその人自身も恰好良い大人に近づけるはずです。
さて、前置きが長くなりましたが、なぜ1937年に刊行された本が、今でも売れているのか。
この本は主人公のコペル君(15歳)の日常と叔父さんがコペル君にあてて書いた『おじさんのノート』により話が進んでいきます。
今回はおじさんのノートから印象に残った言葉を抜粋して、私なりに紹介していきたいと思います。
Contents
人間が自分を中心として物を見たり考えたりしたがる性質というものは、これほどまで根深く、頑固なものなのだ
この言葉はコペル君と叔父さんのとある日常シーンでのやり取りの後に書かれました。
それが、デパートの屋上から街を眺める・・
それだけです。
人間は誰もが自分中心に物事を考えます。
そして自分の都合の良いように考えて、ものの真相がわからなくなるのです。
もちろん私もそうです。気を付けてはいます。
例えばあの人は嫌な奴、あの人は良い奴などとよく知りもしない人に対する評価を下す人がいますよね。
これだって立派に自分中心の考え方です。
良く知りもしないことをまるで間違いないことかのようにいう人は困ったもので、多いですよね。
もっと広い視野で物事を考えるようにすれば、物の見方は変わるし、それを心がけること自体は恰好良い大人になるには必要と言えるでしょう。
世間の目よりも何よりも、君自身がまず、自分の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ
この言葉は学校でよくあるイジメのシーンの後に書かれています。
A君がいじめられ、B君がそれを止める、コペル君はそれを見てまた色々と考えさせられるわけです。
皆さんにも経験があるのではないでしょうか。
誰かがいじめられていて、それをまるで空気のように過ごしたことが。
私の生きてきた世界では子供の世界でも大人の世界でも同様にこればっかり起きています。
私は別に立派な人間でもないので、それを止めたり、かばったりしたことなどありません。
ただし、クスクス笑ったりするような人間でもありませんでした。
コペル君と同じ15歳になる頃には特に、イジメる人もイジメられる人もくだらないなぁと思って避けていたからです。
つまり、その他大勢の一人だったわけですね。
誰が見たって素晴らしいシーンですが、それを素晴らしいと思って読んでいる人のほとんどが恐らくイジメてた人か、イジメられていた人か、関心がなかった人かであって、善悪を主張できるような立派な人ではなかったはずです。
私はそれを不思議に思いながらも、「誰がなんてったって悪いものは悪い」と言える人にみんな憧れて生きているのかなと思ってしまうわけです。
自分自身の行動に胸を張れるような恰好良い大人になりたいものです。
自分の過ちを認めることはつらい。しかし過ちをつらく感じるということの中に人間の立派さもあるんだ
誰もがこの本の中で最も印象に残るシーンと言えるでしょう。(上記の絵は無視してください)
コペル君が自分の行動を後悔し、苦悩するようなことが起こるわけです。
私は昔から言い訳ばかりの弱っちい人間でした。
自分の弱さから目を背け、正々堂々と自分の過ちを認められなかったことだらけです。
弱っちい人間らしいことを言いますね。
「みんなそんなもんでしょ!」
逆にそうでない人なんか1%にも満たないんじゃないですかね。
私は社会人になって恰好良い大人になるため、身につけなくてはならない言葉があると思っています。
それが「ごめんなさい」です。
年中謝ってばかりの、謝っとけば良いみたいな人ではないですよ。
時に自分の過ちを認め、位や年齢に関係なく、正々堂々と「ごめんなさい」が言える人が世の中にはなんと少ないことか!
人に「ありがとう」を言える人はたくさん見てきましたが、そういう人に限って「ごめんなさい」は言えません。
明らかに自分の非を認める行動の方が苦しいからです。
コペル君のその苦悩の原因となったシーン、何度読んでも弱っちい私は共感し、心打たれます。
全く同じような状況になったわけではないですが、自分にも似たような思い出があって、だからこそ本が伝えんとしようとすることもわかる気がしたのです。
ここは子供もそうですが大人こそ、自分がコペル君と同じ立場にあってそれが出来るのかどうかを考えてみた方が良いように思います。
まとめ
まだまだこの本の考えさせられるシーンはたくさんありますが、今回は自分が特に関心のあるところをピックアップしました。
貧困について書かれている場面も良く話に上がっていますが、その場面は賛否両論だったようですね。
何にせよ、「君たちはどう生きるか」は文字通り「私がどう生きるか」を考えさせられる本です。
何故この本が今になって売れ続けているのか。
ほとんどの人間はこの本で描かれているような立派な人間になれなかったからだと思うのです。
それなのに共感している人が多いのは、みんな間違いながら生きていることを内心わかっているからではないでしょうか。
いつの時代でも忘れてはならないことは一緒。そういう気持ちを改めて教えてくれる本なのかもしれません。
私は最初にお話ししたように自己紹介代わりにこの本が好きな人間だということを記したくて書きました。
この本に書かれているように生きられたら、そりゃあ恰好良い大人です。
心掛けることが大事!皆さんも是非一度読んでみて下さい!
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